P-SIDE 1  2000.02

こんにちは、ポートサイドツーリストの金田和隆です。

創業15周年にあたり、ホームページなるものを作ってみました。スピードの早い情報化時代ではありますが、ありきたりの旅行商品よりも、遊び心のあるちょっと道を外れた話題をご提供出来ればと思います。

旅行会社なのに釣りの話ばかりで恐縮ですが、私も釣りが好きでたまりません。ただ釣りといっても、のんびりと糸を垂れて釣れるのを待つ釣りではなく、自分で「狙って釣る」という代物です。

7年前に原因不明の病?により1ヶ月程寝込むような病気をしたのですが、それ以来自分のストレスをいかに発散させるかを模索しておりました。そこで幼い頃からたしなんでいた釣りに注目したわけです。でもその釣りは幼い頃の釣りと違って、積極的に魚の気持ちになって攻略する釣りなのです。つまり、今までは待っていれば「どんな魚かわからんが釣れればいいなぁ」でしたが、今は五目ではなく、狙った一目に焦点を絞って戦略を立てながら、堤防ではなく大自然の前の磯に立って狙うスリリングな釣りなのです。

それはそれは、早朝から重い荷物を担いで、ハードな道なき道を上り下りするわけで、釣りに興味のない方なら「ようやるわな」といったところでしょうか。しかし、苦労して着いた所は、誰もいない正面から太陽が昇る新鮮でけがれのない自分のフィールドなんです。餌を撒いたり、仕掛けを長くしたり重くしたりいろいろ試行錯誤が続きます。そして釣り上げたものは40cmの狙った獲物ではなく、10cmに満たない小魚であったりするわけです。そこには多大なストレスが存在するように思われますが、なぜか身体は心地よい疲労感が漂います。そして、また来ようと思うのです。

日頃ろくに運動もしない怠け者ですが、好きな道楽に関しては、苦を惜しみません。なぜなら道楽とは「その道を楽しむ」遊びだからです。今ようやくストレスのなんたるかを少しわかってきたように思います。

自然を愛し、恵みに感謝しながら、地球を大切に楽しく付き合っていきたいものです。

 

P-SIDE 2  2001.12


Webサイト立ち上げからすでに2年近くが経ちました。歳をとるのは早いものですが、情報社会も急変している現在、私のようなドップリ中年にはまっているオッサンにとって、やらねば置いて行かれること
ばかりで、とても若い方々には追いつけません。しかしこのサイトのヒット数はまだまだ少ないものの、新たなお客様やご相談いただける方々との新鮮で劇的?な出会いは、いつも感動と再出発の心境です。今まで訪れていただいた方々に深く心から感謝したいと思います。

今はちょうどクリスマス前の忙しい中にも幼い頃の楽しい体験も甦って、毎年の事ながらあわただしくもあり、この歳になってもチョット嬉しい気分にもなります。しかし、今年は「世界が変わった」といわれるあの連続テロ事件が9/11に起きました。それは第3諸国の戦争ニュースとは異なり、ごく平和で一般市民やいつも飛び交っている一般旅客機が世界の大都会N.Yで、一瞬の内に大都会で被害を被った事にショックの大きさがあるのです。それも事故でなく意図的な事件である事が世界を変えたのかもしれません。

アメリカではほとんどの国民が愛国心の高揚と共に、自分の兄弟や親しい知人を亡くしたかのような、切ない気持ちになったのは私からも十分理解もし感じる事もできました。もし、このような事件が
日本で起きたとしたならどうでしょう。今対岸の火事として感じている日本の方々もアメリカ国民のような反応を示すのでしょうか。それは起きてみなければわからないかもしれませんが、私は少し異質な
反応が起きるのではと思っています。今はここでその異質さを展開するつもりはないですが、興味深く思ったのは、テロ事件以来米国民の中でSEXが増えたことと、おそらく来年夏にはベビーラッシュが起こるであろうと報じられたことです。その現象がある意味私にも理解できそうであることと、はたして
日本人ならそういった現象が起きるかどうかという客観的な疑問が沸きます。

私が幼い頃、人ひとりが死ぬという現実を近所の火災現場で見た後の、自分のあのなんともいえない暗くてやるせないいや〜な気分が今甦ります。そんな幼い自分の心を子供ながらにすぐにはぬぐえず、ある意味心の傷として今まで残っているのかも知れません。
しかし、人は大人になるにつれ、全てにおいて寛容というか慣れというか悲しみも喜びも表面化しにくい動物だとも思うのです。いつまでも手放しで泣いたり喜び走り回る事は、子供じみたとか大人気ないとみられがちなのは当然です...が、それはある意味仕方のない事なのでしょうか。

日本の存在が今問われています。経済的にも国際社会的にも。日本には日本の奥ゆかしさや思慮深さもあります。しかしすでに島国鎖国日本では生き続けられない現実があるのも確かです。特に今までの日本経済の成長が質的に問われていることが最も大きいのでしょう。ではその基盤となる日本文化について数字では推し量れない、人間の資質として今まで大きく取り上げられてきたでしょうか。

残念ながらそれは二の次として、今でも絶えず数字第一主義の陰に隠されたまま、見過ごされてきたように思います。
教育や政治、行政、あるいはマスメディアに問題があるのかどうか今は議論したくはありませんが、そのいずれにも疑問符は付くことでしょう。私の仕事も含めて。

テロ事件からすでに3ヶ月が過ぎました。昨日ようやくビル火災の火が消されたということです。今旅行業界も海外旅行振興に躍起となり、海外各地の客送致活動に力を入れています。そんな中、海外観光地で最近よく聞かれる現地の声は「日本人だけが戻って来ていない」という意見です。そこにも島国日本が健在です。これだけの情報量がありながらもです。日本人はどうやら情報だけでは行動を変える人種ではないようですね。

典型的な出来事は、同じ国でありながらある旅行地域の客足がパタッと止まったことです。それは沖縄です。特に修学旅行のキャンセルが大きく響いています。親として子の旅行を気遣うのは自然ですが、雪崩をうったように次々と沖縄旅行の取消が起きました。タダでさえ景気低迷の観光地沖縄にとって、悲惨な出来事と私は感じました。

これらのことは、けして対岸の火事ではないということです。狂牛病を発生させた日本で、たまたま自分が焼肉店を営んでいたらどうでしょう。たまたま自分が基地の傍に住んでいなかっただけで済むことでしょうか。自分に火の粉が飛んでこなければ良しとすればいいのでしょうか。

幼い頃に火災現場を見た時の暗さや悲しさは、現実をありのまま捉えた素直な子供の心です。そこに必要なのは、それを真正面に受け入れさせて、その辛さを癒してあげられる身近な人々の愛情以外にはありません。母親や父親がいかに大きな心で子供を抱きしめてあげられるかだと思うのです。

世界が変わったといわれる意味はそれぞれあるでしょうが、そろそろ日本も変わっていいのではないでしょうか(まず変わらないと思いますが、行動規範は変えられるかも)。学歴、キャリア、名誉、そして金第一主義の島国ではなく、人を同じ人として素直に受け入れ、広い視野で今後の世界を見守りたいものです。
絆が深まる米国人もほほえましいと思います。そして新たなフロンティアとしてのアメリカにも期待したいと思います。しかしけして本当の自由があるアメリカではないことも露呈しました。

私自身もこの景気低迷の荒波をまともに被っている一人です。でも冒頭にも言いましたように、新たな出会いや、久しい人達との再開はこの暗い日本社会の中で、永遠に光り輝く星のごとく新鮮で頼もしいエネルギーとなっていることを、これからも忘れないようにしたいと思います。
少しの喜びやチョットした暖かな心の触れ合いでも、人は大きく羽ばたけるものです。そんな毎日をこれからも大切にしながら、身近なところから伝えたい事を伝えたいと思います。
親鸞の生涯に何かしら共感するオッサンですが、これを読んで頂いた皆様に Merry Christmas

そら

その後の独り言は こちら へ (2005.11〜現在)